46歳、父子家庭はじめました。生きていくための記録

46歳にして2児の男児と人生をやり直すストーリー

先行きが不透明で、自信なくて、メンタルが落ちる今日という日。

今日は頑張った。

朝起きて、子どもたちのお弁当を作ってあげた。

我ながらよくできた。鳥のささみはめんつゆとごま油、白ごまに一晩漬けておき、揚げる直前に片栗粉をつけて新しい油で揚げた。

上の子は量が少ないだの、冷凍食品が多いだの文句を言うので、少しでも手作りのおかずを、と思い鳥のささみから揚げは手作りにした。

おにぎりも、今までは2つだったけど3つにして、プラスみかんを1玉追加してあげた。朝食もかねて作ること起床してから1時間がんばって、お弁当は仕上がった。

 

さて子どもたちは今日もまたギリギリに起きてくる。

8時には出なければいけないのに、上の子は7時半に起床。父親の私は勤務時間を稼がなければ夕食も作れなくなるので、7時45分には家を出る。当然、子どもたちはまだ家に居るから、子どもたちをおいて家を出る。もちろん、子どもたちを先に送り出すのが筋なのだろうが、22時過ぎまでフォートナイトをやる上のこと、恐竜サバイバルをしている下の子はなかなか起きてくない。親としての務めはあるのだろうけれど、自覚してもらいたい気持ちと、もう付き合いきれない諦めの気持ちとで、7時45分には家を出るようにしている。

 

で、仕事を始めたら始めたで、なかなか手につかない。

離婚のストレスが首をもたげてきて、思い出すだけで元妻を憎らしく感じてしまう。

憂鬱な気分は夕方になれば改善してくる、とは聞くけれど、自分の場合は夕方に近づくほどに憂鬱な気分が増してくる。

そして、就業。5時半に早々と仕事を切り上げ、自宅に急ぐ。

 

自宅につくと、子どもたちはゲームをしている。

ただいまというと、ふたりとも棒読みでおかえりーと言ってはくれる。下の子が、「お弁当おいしかったよ」と。この一言でどれだけ救われるか。上の子からは、お弁当に入っていたミートボールがまずかった、とのだめだし。感謝の気持ちはない。加えて、フォートナイトをしながら、大人の考えることはだめだとか、お父さんもバカだみたいな話をするから、こっちもつきあってられるか、とやりきれない気持ちになった。

そして、朝食がおわらないまま自宅を出たから、洗い物で山になっている皿洗いから夕食の準備はスタートする。午後7時、皿洗いが終わる。ここから食事の準備だ。

上の子は今日の夕飯なに、と聞いてくる、シシャモだというとやったあ、という。しかしゲームをやる手は止めない。

7時20分頃、夕食が出来上がる。今日は焼きシシャモ、小松菜のお浸し、さつまいもとたまねぎと油揚げの味噌汁、納豆だ。食事だよ、と声をかけるが、子どもたちはゲームが優先でそちらに夢中になっている。もういいよ、とあきらめの気持ちとともに、一人でいただきます。と言い夕食を食べ始める。まもなく、下の子が一緒に食べ始める。学校で起きたこと、ゲームであったこと、日常の会話をしながら、ふたりで夕食を食べる。

ちょうど父親の私が食事を食べ終わったころ、ようやく上の子が食事を食べ始める。下の子も食べ終わり、お風呂に入り始めた。上の子はひとりで食事を食べている。父親の自分は洗濯物を畳んでいる。洗濯物の処理が終わり上の子の食べた後を見ると、ししゃもが残っている。きくと、いらないそうだ。先日かった桃屋のラー油でご飯を食べたようだ。なんだよ、ししゃもいらないのかよ。がっくり来る。

 

こうして、作るものはすぐ食べない(ゲームが優先)、文句は言うが感謝は言わない、作ったおかずは食べずに捨てる、という現状を見ると、もういたたまれなくなったので、近くの大型ショッピングモールへひとり出かけることにした。ああいいよ、そんなにおやつが必要なら買いにってやるよ、と。

家を出るとき、行ってくるねというと非常にドライにああ、と回答した。

 

こんなもんなんだよ。父親って寂しいな。

おれは父親失格なのかな。

朝ごはんとお弁当がんばったのに文句しか言われず、会社では離婚ストレスで仕事が手につかず、帰ってくれば下の子はおいしかったとは言ってくれたけれど上の子は文句しか言わず。俺は今日だけは一時的にオーバーフローして、プチ家出をしたのでした。

 

そして今日のブログを言空いている、というわけ。

今夜の22時だけれど、これからお風呂に入ります。

子どもたちは今から寝るのだろう。寝てほしい。これ以上起きているとだめだから。

 

ああ、今日は疲れた。。

明日も、頑張ろう。。

 

そして今週の日曜は、元妻がおいしいレストランへ連れて行って外食するんだろう?非常に納得いかないし、もう会わせたくないんだよな、本心を言うと、そういうおいしいところだけとって、自分のペットというか癒しの道具として子どもを使っているようなきがしてならない。こういうことは言ってはいけないけれど、むしろ死別ならどれだけ割り切れたことか。離別って残酷だよね。

 

 

さて、お風呂入ろうかな。

今日も疲れた。でも俺なりに、頑張ったのだと思う。これで2000字です。。

子どもとの適切な距離って?

今日はPTAの役員打ち合わせ。

20人程度を前に2学期の活動報告をして、これからの活動について了承をいただいた。もちろん、小学校での活動だから、仕事は休んでの無料奉仕。

 

PTA会長としての仕事は無事終わり、そのあと上の子の担任の先生と、上の子の最近の態度について、これからの付き合い方について相談に乗ってもらった。

上の子は今小6だが、ことあるごとに文句を言う。最近パン食が多いだの、手抜き料理が多いだの、下のことの会話が成立していないだの、お父さんは食べるときくちゃくちゃ音がうるさい、だの。機嫌がいいときは「ごめんねー」ってにこやかに応対するけれど、もちろん機嫌のよくないときだってある。そういうときは、親だって子どもに反論するときだってあるんだ。そうすると上の子は「逆切れすんな」とか、逆に怒ってくる。こういう息子たちの態度とどうつきあうか、正直戸惑いがあった。だから、上の子をよく知る担任の先生と相談の場を持ってもらったんだ。

打ち合わせでは、お父さんがなにもかもしっかりやろうとしすぎるから疲れちゃう、いちどいろんな「やらなきゃいけない」を手放してみたら、とのアドバイスをもらった。どうやら、先日電話して相談した時から、そんな気がしていたみたい。

まだ離婚してから間もないこと、父子家庭を始めて間もないこと、だから心身ともに疲れ切って今うことだってあり得ること、を指摘してくれた。その通り、俺は色々しっかりやらなきゃ、と思って根をつめて疲れているのはその通りだと思う。子どもたちが夜遅くまでゲームをやっていて、いちいち早く寝ろだのいうと子どもたちも反発する。そんな日々の繰り返しだった。

担任の先生は、やはり父親がガミガミいうことを嫌がっていたようなことを連絡ノートに書いていたようだ。これは先生から聞いた。一時期は俺も細かいことまでガミガミ言っていたな。それで上の子は態度を硬化させて、あまりよろしくない雰囲気が出来てしまったんだ。

だけど上の子は、寝る前にはちゃんと「お父さんおやすみなさい」と言ってくれるし、宿題がわからないときに教えてあげるとちゃんと感謝してお礼を言ってくれる。だから、心底パパが嫌いとかもうコミュニケーションが出来ない状態ではないとは思っていた。

担任の先生は、これらすべてをお見通ししていたようで、もっと任せるところは任せましょう、と言っていただいた。今は反抗期だからこういうこともあるけれど、反抗期が終わったらきっと、お父さんと生きていこう、って思ってくれる日が来ますよ、って。お父さんが頑張っているのは、子どもたちはよく見てくれていますよ、お父さん毎日の表情は子どもたちはとてもよく見ているんですよ、って。

恥ずかしいながらも、また涙が出てきた。嬉しかった。現役のPTA会長がさ、離婚されて父子家庭になって、こうして担任の先生に話をしてもらっているって変な光景だし、どれだけ情けない男なんだろうね、って。

けれど希望は持ち続けていいんだとも思うし、子どもたちもそれはわかってくれていると思っている。担任の先生は言っていた。子どもを信じて任せてください、って。任せてくれることが、上の子にとってとても伝わるメッセージになります、って。

 

まだいける、まだ生きていけるって思った。

正直辛い気持ちになると、もう死んだほうが楽かなって思うことも最近はちらちらありました。U先生、本当にありがとう。前を向いて生きて行けそうです。

メンタル絶不調。

11/22に離婚届を出して、晴れてシンパパ生活が始まった。

今日、日曜は元妻と子どもたちの面会。

元妻が自宅まで子どもたちを迎えに来て、子どもたちが元妻のアパートに移動する。

俺は元妻とは顔も合わせたくないので、早々にお出かけ。子どもたちが帰宅してから、自宅に帰ってきた。

 

本当なら、金輪際元妻とは話をしたくなかった。あなたの存在自体を意識にとどめることが、そのまま自分のダメージに直結するから、本音をいうと存在を消してほしかった。

元カレの住んでいたアメリカにで引っ越せばいいんだ。そうしたら踏ん切りがつく。

ましてや子どもたちは元妻が母親なので、そういう親子の関係は残る。これが嫌だ。

元妻は、ガマンする時代ではないし、子育てに自信がないからと言って親権を拒否した。あたしには無理だ、と。だからパパにすべてを押し付けて、自らの子ども二人と、マイホームと、マイカーと、全てを捨てた。

そんなあんたに何がわかるっていうんだよ!!

正月は実家に帰省するつもりだ。元妻からは、正月は子どもたちと妻だけでホテルに一泊したい、という。実家じゃないのかよ、と思う。しかも、あなたは子どもたちを捨てて自分の幸せなるものを優先したんだ。もういい加減やめてくれよ、これ以上ひっかきまわすのは。だから、今住んでいる町から出ていってほしい。いや、最低でも県外、願わくば国外に消えてほしい。これが俺の本音だ。

今となってはもう、連絡が来るたびに、あなたの存在を思い出すたびに気持ちが、心がざわつく。落ち着いていられない。

まだ離婚届けを出してから数週間しかたっていないから不安定なのかもしれないけれど、もう嫌なんだよ!!!あなたの存在が。

こんな相手を選んでしまった自分も嫌だし、子どもたちにとって、それでも唯一の母親なので、そういう関係をもってしまった親としての自分があまりにも不憫だし、子どもたちもひどいなと思ってしまう。

 

これが、離婚の現実なんだよ。

 

でもいいさ、子どもたちは俺が育てると決意したんだ。

ふたりの子どもたちと幸せになる。幸せになってやる。

後ろは見ない。横も見ない。前だけ見て、進んでいこうと思う。

 

もうしばらく、こんな不安定な状態は続くのだろうけれど。

自暴自棄にならないようにしないとな。

PTA会長の仕事も、あと半年を切った。もう少し、がんばろう、と思う。

 

 

離婚した経緯。

もう日曜の深夜1時半だけど、離婚した経緯を書きたい。


妻が結婚した理由は、直接俺に話してくれた。

30歳を目前にして、売れ残りになりたくなかったから妥協して俺と結婚した。結婚してからは、性格が合わないことはすぐに察知し、元カレのように構ってくれない、大事にしてくれないので、元カレの思い出の中で生きてきたようだ。

2人目の次男を出産したときに、もう役目が終わったと思ったらしい。離婚することが私の幸せだと思ったが、小さな子供を育てるには人の手が必要で、両親には頼れなかったので、好きではないし別れることが私の幸せと思ってはいたけれど旦那とは離婚はせずに手が欲しいとの理由て婚姻生活を続けてきた。

次男が生まれてからは、マイホームを作ったり、車を買った。その都度妻の意向を聞きながら、それでいいよね、と承認をもらいながら二人三脚で進めてきたつもりだった。


それがなんだよ。


あたしは次男出産直後から、私の役目は終わった、離婚することが私の幸せ、元カレの思いでの中に生きていた、離婚したかったけど手伝いが欲しかったから離婚しなかった、だつてさ。


ほんとバカだよね。俺。

こんな女を見極められなかったなんて。

こいつのせいで人生の20年くらいをフイにしようとしている。

いや、自由を取り戻したというべきか。


離婚してよかったと思う。この人やっぱりおかしいよ。考え方が。


さて、寝ようか。

明日は何しようかな。

勝手に捨てられた布団の毛布を探しにでも行くか。



本当に離婚って、辛いよね。


仕事が手につかずぼーっとしていまう最近。

今日は土曜日。

お休みなんだけれど、PTAのお仕事があり、オンラインセミナーに出席した。

約2.5時間の長丁場。

この話を聞きながらも、夕方に設定しているPTA役員の打合せ資料を作る。

 

なんでこんなに忙しいんだ。。

 

スピーカーから聞こえてくるセミナーというか討論は、今の自分にとっては空回りに聞こえる。なんだか安全な暖かな場所からリラックスした発言ばかり、というか。俺が切羽詰まっているだけか。父子家庭なんて、想定外だよな。ましてやPTA役員なんてさ。

 

今日の夜PTA役員の打ち合わせをする。

他の役員の方から、なんでこんなに会長さんはパフォーマンスが悪いんですか、やるべきこと出来ていないじゃないですか!!と突っ込まれたら、なんて言おう。カミングアウトしちゃおうかな。したところで、何も変わらないし、甘えるんじゃない、って言われたらそのままアウトだよな。俺が虚しくなるだけだし、他の役員と亀裂が生じてしまってもしょうがないしな。

 

ということで資料作りをしていたけれど、やはりぼーっとしていまうことがある。

PTAの仕事だから、ではなくて、会社の仕事でも同じ。とくに在宅勤務するときがひどい。ぼーっとしてしまう。何も動けず、そのまあ短時間寝てしまう、みたいな。

 

うつ病に足突っ込んでいるのかなあ。

また精神科に行く必要があるのかな。

来月産業医面談があるから、相談してみよう。

11月22日、いい夫婦の日。離婚届が受理された雨の日。

日中での肌寒くなってきた11月22日。今日は昼間しとしとと雨が降っていた。

ラジオを聞けば、今日はいい夫婦の日らしい。暖かな家庭であれば、ほっこりするひとときを過ごしたのであろう。

 

だが我が家は違う。

結婚生活でもっとも冷え切った空気が流れていた。

いやむしろ、澄み切った透明な冷たい空気に満ち溢れている、というべきか。

今日は仕事の日だったが、家事都合と言い訳をつけて夕方市役所に行き、市民課に離婚届を提出しに行った。

隣の窓口では、幸せそうなカップルが婚姻届けの相談をしている。

私の担当をしてくれた窓口の女性は、ひとつひとつ慎重に記載内容を確認し、最後にOKです、これで書類はお預かりしますといい、今日の提出日を離婚届の提出日の欄に書くように促した。私はその欄に今日の日付を書いて、離婚届は受理された。

 

市役所の駐車場に向かう途上、「あーすっきりした!!」と大声で言ってみた。向かいから歩いてくる人に気づいたのはそのあとで恥ずかしかったけれど、もうどうでもいいと開き直った。

 

自宅に向かう途上、涙は出なかった。カラカラに乾いた感情の荒野みたいなところに風が吹いて、何も感じることはできなかった。もう、十分泣いたものね。

ただ、赤信号で車が止まった時に気づくとぼーっとしてしまう自分がいた。

 

子連れの家族を見ると思う。

ああ、俺もああいう時代があったなあ、って。子どもはかわいいなあ、って。

もう戻らないんだなあ、って。

 

けどしょうがない。あまり干渉しないようにするんだ。

ああ、終わったんだ。これですべてが終わったんだ。

そして新しい生活が始まるんだ、って。

 

俺の人生、振り返ってみると、もっと恋愛しておけばよかったと思う。

女性の扱いかただけではなくて、どう生きるか、って大事な観点は恋愛でもっと学べたんだと思う。高校生の頃から、もっと積極的に恋愛すればよかった。40代も後半になってからこんなにダメージを受けるなんて。

息子には、恋愛しとけよ、ってアドバイスしようかと思う。

 

けどさ、このマイホームと、何よりの大好きな二人の子どもたちと生きていける。

ローンは残ったけど、この家が3人の新しい舞台なんだ。

子どもたちと、人生をともに歩んでいける。

不思議なことに、元妻は子どもたちを手放した。理由はよくわからない。

 

自宅に帰って、夕食を作る。今日はドライカレーを作った。

子どもたちがお風呂に入っている間、Coccoの風化風葬のドラムをたたいた。(我が家は贅沢なことに防音室があって、生ドラムが叩けるんです)

この歌は激しくて、純粋すぎて、心に刺さる。今の俺がこの曲を叩いたら、きっと気持ちをたっぷり込めて叩けるだろう。俺もCoccoコピーバンドをやって、うんちを出すように今の気持ちを吐き出したい。

 

もう、終わったんだよな。

 

だから前を向いて歩こうと思う。

ありがとう。妻となってくれた女性のひと。10年以上にわたって、パートナーになってくれてありがとう。

 

これからはお互い幸せに行きましょう。

さようなら、いままでの10年超の結婚生活。

さようなら、パートナーでいてくれたある女性の人。

もう、あなたと人生で交わることはないでしょう。

 

 

さあ、新しい人生の始まりだ。

今日が夜明け前のいちばん暗い時間だ。

これからだぞ。こつこつ、がんばろう。

妻のいない3人の暮らしが始まった

物理的に妻がこの家から出ていって2日目になる。

一番心配だったのが、子どもたちだったけれど、目の前のゲームに夢中になっていて、あまり辛そうなそぶりは見せていない。ここはまだよかった。ゲームに夢中になって、ゲームでうまくいくと「ねえねえ、聞いて!」と嬉しそうな顔をしてやってくる。こういうときは、父親として、なるべく話を聞いてあげようと意識している。やっぱりゲームでうまくいったら自慢したいし、気持ちを聞いてほしいものね。共感できる大人がいてくれたほうが嬉しいものね。

とはいえ、私自身も家にずっといることはいたたまれず、最近は体を動かしている。今はバレーボールにハマっていて、週末や在宅勤務のときも昼休み、体育館を借りて壁打ちやサーブの練習をしたり、ときどきバレーボールの同好会みたいなところに顔を出して試合をやったりしている。

もちろん最高年齢だけれど、それでも20代の人たちとであっても、一緒にバレーやっていると楽しい。気持ちよく汗を流すって最高だと思う。

 

なんだけど、今は仕事があまり手につかない。

会社に行くと進むけれど、在宅勤務するときは、ぼーっとしてしまって、仕事が進まない。仕事を進めようとするのだけれど、その都度辛い思いがよみがえってしまって、手が止まってしまう。気づけば涙が出てきてしまい、手が動かなくなる。

こんなときは、YouTubeを見始めてしまう(よくないんだけどね)。内容はストレスの対応方法とか離婚後の乗り越え方といったもの。ここで少し癒されて、前に進もうと思い、仕事に復帰する。けれどまたぼーっとしてしまって、YouTubeを…の繰り返しだ。

離婚は本当にストレスが高いものだと思う。新しい人生を、幸せになるためのツールであるはずなのに、こうして捨てられたとか幸せにできなかったとか家族が家族であり得なかったという事実が自分を責める。

俺はなんてダメな人間なんだ!もう恋愛も結婚なんてましてや懲り懲りだ、セックスだけできる相手だけいればいいんだ!という気持ちと、いやこれで清々した!新しい人生が歩み始められるなんて最高だ!次こそ心打ち解けられるパートナーを見つけるんだ!という気持ちが入り乱れて、もうなんていうか安定しない。

 

しばらくは、バレーボールで体を動かしつつ、音楽(ドラムやってます)で体を動かしつつ心を柔らかに保つように努力しようと思う。

 

明日、離婚届を市役所に提出します。いい夫婦の日。なんてポップなタイミングなんだ。朱色の書面をもって並ぶ仲良しのカップルに交じって、緑色の書面をもって疲れたおっさんが一人で並ぶことになります。いいじゃん!ポップじゃん!上等だよ!

 

ということで、明日法的にもこれで片が付きます。

本当に、これですっきりした。元妻に対してはいろいろな感情はあるけれど、今はあまり触れないでいたい。もう関係ない人だし、いろいろ考えるだけ無駄だしエネルギーのロスだからね。前を向くときに背中は見なくていいから。

 

まだしばらく気持ち的に落ち着かない日々を過ごすことになるのだろうと思う。

けれど、前を向いて進んでいこうと思う。

 

離婚に際しては、東京にいる友人と、北海道に住んでいるYouTuberのKATZさんに大変お世話になりました。この場をかりて、深く深く、お礼したいと思います。

 

さあ、明日から本当に新しい生活が始まる。

希望に満ちた、光り輝く新しい人生を始めようじゃないか。

今から楽しみです。

それでも、俺は充実した人生を送っていきます。

生きがいである、ふたりの子どもと一緒に。