46歳、父子家庭はじめました。生きていくための記録

46歳にして2児の男児と人生をやり直すストーリー

父子家庭で迎えるはじめての大晦日。

今は夜の9時過ぎ。子どもたちはいつも通りフォートナイトをプレイしている。

自分はメンタルが落ちたままで、ひとりこうしてブログを書いている。

 

気持ちの整理には断捨離が有効だと聞いていて自分もそう思うので、今日は元妻との写真を総じてシュレッダーにかけた。結婚式の写真、新婚当初に旅行に行った時の写真、300枚以上はシュレッダーにかけただろう。最初、手回し式の安いシュレッダーを買ってきて使っていたが、そのうち刃が切れなくなり、追加で購入したほどだ。

写真の断捨離は辛かった。結婚式の写真を1まいずつシュレッダーにかけていく。ああ、こんなこともあったな、あんなこともあったな、結婚式に来てくれた友達、会社の同僚や先輩、みんなありがとう。そうやって1まいずつ噛みしめながら写真をシュレッダーにかけていくとき、ふと何枚かの写真が目に入った。まずは結婚式で手紙を読んでいるときの写真だ。新郎新婦と、その向かいに両家の両親が立っている。両家の母親が中央に立ち、母親を挟むようにして父親が立っている。新郎と新婦が手紙を読むのを見守っている両家の両親。次にウエディングケーキを新郎に食べさせた後、両家の母親が父親にケーキを食べさせるアトラクションの写真。俺は気づいた。母親が結婚式に居てくれるってどれだけ嬉しいことか。あたり前だと思っていたけど、あたり前じゃないんだ、って。うちの場合は、もう母親はいないんだ。結婚式に来るかもわからない。少なくとも、今の時点では来てほしくないし、顔も合わせたくない。親の都合で片親になってしまった現状が、ぽっかり空いた心の穴を直視することになった。ごめんよ、君たち。君たちの結婚式にはお父さんしか来れないのかもしれない。けれどな、君たちが結婚する歳になって、お父さんが元気でいられたとしたなら、それはそれはお父さんが生きてきて、君たちもお父さんと生きて来たんだ、って実感を感じられるはずなんだ。お父さんはそうやって君たちを育てる決心をしたんだ。だからきっと幸せになれる。お父さんが幸せにするから。 いつ来るかわからないけれど、結婚式できっとそう思えるいつかの日のことを想うと、鼻がむずむずしてきて、涙があふれた。きっと幸せになってやる。幸せになるんだ。君たちと一緒に、生きていこう。

ぼろぼろのメンタルで、半分うつ状態になりかかっている自分のなかで、小さく誓った。

 

来年は試練の年になるだろう。

仕事と父子家庭が両立できるのか。きっとここが問われる。

毎日が勝負だ。けれど、やるだけのことはやって、あとはなるようにしかならないから。なんとかなるさ、っていう気持ちでやっていこうと思う。

 

晦日の夜は、最低の状態の私のメンタルと、子どもたちがゲームで遊ぶ声と、ほんの小さな自分の中だけの希望のようなものを大事にしようと誓ったひとときでした。

 

良いお年を。

2021年12月31日 寒い大晦日の夜