46歳、父子家庭はじめました。生きていくための記録

46歳にして2児の男児と人生をやり直すストーリー

ひとり親。マイホーム。男児二人養育。この選択を振り返る

ひとり親になってから半年以上が過ぎた。

同居していた女性が家を出て、親子3人で過ごすようになってから半年が過ぎた。離婚直後はすごく迷った。この家を売却して、実家に近い借家でサポートを受けながらやり直そうか、と。仕事もかえて、生きるための仕事をしながら、両親や親族のサポートを受けながら生きようか、と。会社を休んでよい物件まで見つけた。自宅も売却の見積もりをして、ローン完済まで可能なことまで確認した。

 

あとは決断するだけだった。

 

けれど、俺は今のこの家に住み続ける選択をした。

やっていけるのか。ひとりで、この稼ぎで、両親のサポートがなくて、やっていけるのか。

無謀ではないのか。両立できるのか。

 

この半年の間、いろいろあった。

家族全員がコロナに感染し、自分も自宅で療養しながらも三食つくり掃除も洗濯も続けた。

 

振り返ってみると、大変ではあったけれど、この選択は間違っていなかった気がする。

自分が自分であるために、この自宅を選択したことは間違いではなかった気がする。

 

実家の近くに戻っても、本当に生きるだけの生活になってしまうだろう。

自分の趣味仲間は今住んでいるこの家の近くにしかいない。生きるためのサポートを受けたとしても、それ以外に何も残らなくなってしまうではないか。自分の時間なんて笑ってしまうほど少なくなってしまったけれど、それでも今このブログを書いているようなわずかな時間があれば、自分が自分で要られることの幸せを感じることができる。そう思うんだ。

 

仕事との両立もできるか本当に不安だった。

だけれど、仕事の仲間に叱咤激励されながら、なんとか歩けている。

8月は最大の山場を迎える。ここで無事、乗り越えられれば、あと数年は持ちこたえられるだろう。自信を持って、今の仕事を完遂できるだろう、と思う。

 

だから、8月が勝負なんだ。

ここで結果を出せれば、俺は変われる。新しい自分に、本当の新しい自分に生まれ変われる。独り立ちして、自分の足で自分の人生を歩いていける。自分に自信をもって。

 

だから、楽しみにしてる。これが生きていることなんだ、って、もう少しで実感を持てそうな気がする。

 

みんなありがとう。職場のみんなにも、俺は生かされている。

 

消えない、元妻への恨み。

こんばんは。

皆さん、離婚されてから、元パートナーへの気持ちはいつ癒えるのでしょう。いつ、この嫌な気持ちが消えていきますかね。

 

先週末、元妻と子どもたちとの面会交流がありました。そこでは、上の子が元妻に、お母さんに会えなくて寂しいから学校で泣いてしまった、友だちが近くに居てくれて、しばらく付き添ってくれた、と聞いた、と。

ああ、子どもなりに母親にしか言えない気持ちのゆらぎもあるんだな、と。

で、元妻からあったのが、「子どもたちの気持ちもあるから、会う頻度を増やしてあげようと思う」だって。

 

「会う頻度を増やしてあげようと思う」

 

なんだよこの発言。

そもそも、あんたが自分の人生を歩みたいから、旦那と一緒にいるのがつまらないから、子どもたちを育てる自信がないから、といって、家族を捨てたのはあんたじゃないか。それをいまさら、悪いことをした、よくない影響が出ている、子どもたちがかわいそうだから、会う頻度を増やすって、どういうことだよ??? 俺にままったく理解が出来ない。

 

結局それは、一言で言えば自己中、ということに尽きるのだろう。

おれはこの考えを全く理解できない。何を言っているんだこの人は。

こんなことを言うんだったら、物理的に近づけないくらい遠いところに居なくなってほしい。私たちの近くから、存在を消してほしい。本当に邪魔です。存在自体が。

離婚したシングルファザーの人たち、どんな思いで暮らしているのかな。

俺は、この元妻の考え方が全く理解できません。

自分に都合がよすぎる。

 

今更取り繕ったって、あんたが家族を捨てて離婚し、自分の人生を歩みたいと、優先順位の設定をしたのはあんただろう。今更取り繕うようなことをいうな。だから子どもたちが迷ってしまう。あんたは私たちの前から存在を消すべきだった。中途半端にいいところだけをとって母親ヅラするんじゃない。

もうこの家族は終わったんだ。

終わったのに中途半端に顔を出されるのは、大変迷惑です。

 

みなさん、父子家庭のみなさん、これどう思いますか?

俺は勝手なことを言っていますか?

どう考えても、元妻の言っていることが自己中でかき回しているようにしか思えない。

もう、この人とは会話が成立しないような気がしてしまっています。

 

会社でも疲れているのに、こうやって帰宅後も疲れるなんて、本当疲れますよ。

何だか、生きることに対する価値観が違うというか。

 

あり得ない。

 

すみません、ぐちでした。

金曜日の夜。1週間でもっとも寂しいひととき。

今、夜の9時半過ぎ。

子どもたちは、元気にテレビゲームで遊んでいる。

私は1週間の仕事を終えて、ああ、終わった!!と思いたいのだけれど、気持ちを共有する相手もいないし、話し相手もいないし、気分がふさぎ込んでいる。

 

さっきコンビニ行ってお酒買ってきた。

買ってくる道中、なんでこんなに寂しいんだろう、って、自分自身がいたたまれなくなって涙が出た。ああ、自業自得ってやつかな。

ひとり親の父親として、それなりにやってると思ってる。子どもたちは春休みだから、毎日お弁当を作ってる。今日でめでたく1週間、全てお弁当を作ったことになる。これはこれでよく頑張ったと思うし、俺自身もよくやったと思う。

けどさ、この気持ち、この努力は、だれからも評価されないし、コメントもされない。わかっちゃいるけど、反応のない努力って、こんなに虚しいものなんだね、って実感わきます。そして思うんだよね。ふとした瞬間に、ああ、俺って自由を手にしたけれど、パートナーもいないなあ、って。そう。パートナーはもういないんだけど、自由を手にしたんだなあ、って。

ああ、いいさ。いいとも。元妻はもう他人だ。記憶の中にはない。俺は、きっと新しいパートナーを欲しているのだろうと思う。こうして金曜の夜にブログを書くのではなくて、笑顔をもって今日一日の出来事を交わしあえる誰かを。気持ちを共感して、自分のことも、相手のこともお互いに理解しあって、そうだね、って微笑むことのできる生活を、欲しているのだと思う。

けどしばらくはこのお願いは無理かな。

 

ああ、すべて忘れて帰ろう

ああ、すべて流して帰ろう

あの傷は疼けど この渇き癒えねど もうどうでもいいの 吹き飛ばそう

爽やかな風と帰ろう 優しく降る雨と帰ろう

憎みあいの果てに何が生まれるの 私 私が先に忘れよう

 

与えられるものこそ 与えられたもの ありがとうと胸を張ろう

藤井風さん「帰ろう」の歌詞がぴったりくる。この歌好きです。

さようなら。元妻。はやく上書きしたいです。

実家から遠い街での父子家庭は、地獄の入り口か、自己実現の入り口か。

たまに思うことがある。

今は実家から近くない街で、子どもたちと3人で暮しているけれど、この選択でよかったのかなって。もう後戻りはできないからやるだけやってみるしかないけれど、この選択がどういう結果をもたらすのかは全く分からない。

ただ、今身近にある材料では、ベストな選択をしたのだと思っている。

実家近くの町に引っ越したとして、充実した生活が過ごせるとも、思えない。

それこそ、彩のない、生きていくだけの日々になるだろうと思った。だから、建てた家をそのまま住み続けることを選択したのだ。

 

たとえば子どもたちが巣立つであろう6年後、どうなっているだろうか。

私は生きているのだろうか。

仕事との両立はなんとか、にしてもやっていけるのだろうか。

自分自身のメンタル状態を正常に保ちながら、生きていけるのだろうか。

 

結果は数年後にわかるだろう。

きっとこの1,2年をやり遂げれば、なんとかやっていけるかもしれない。

人生で最大の試練だな。

けれど、自殺なんて考えないように、最悪でも生きていく覚悟をもっていかないといけないね。死ぬのは簡単だ。生きるのは大変だ。だけど、この辛さを味わいながら生きていく、ということか。

 

なんていうことになったんだろうな。

お父さんが生き生きとしているのが一番、と、小学校の上の子の担任の先生が言ってくれた。今日はそんな表情をしていない。いや、今日だけではなくて、今日も、なのかもしれないけれど。じゃあこれって幸せなの?と言われるとわからない。

とっても重たい石を背負って、ゆっくりと坂道を上っている感じ。諦めた瞬間に、背負っている重たい石につぶされてしまうのだろう。そんなシリアスな状態で生きている。なんていうか、シビアだね。って、ひとごとか。

 

今日は日曜日。もう21時50分だ。子どもたちはまだゲームをしている。

俺はもう寝ないと。先に寝てしまおう。子どもたちが寝るまで、なんて待ってられない。俺はそんなに余裕がない。ココロの余裕も、物理的に時間の余裕も、無いんだ。

 

今日は早めに寝て、明日に備えよう。

さて、おやすみなさい。

特定健康保険指導。

前回の健康診断で、「高血圧」「肥満(体重)」が指摘されたため、特定健康保険指導を受けることになった。つまりメタボリックシンドロームというわけだ。

勤務時間中に1時間!もの枠を使って話すという。当初はなんでこんな忙しいのに1時間も使わせるんだ、と思っていたが、指導は必須らしい。しょうがないので受けることにした。

 

それで、今日の特定健康保険指導を受けた。

面談はZoomでおこなった。会社の会議室に入り、1時間、先方のカウンセラー?指導者?と会話をする。相手は自分と同じくらいの歳の女性の方。普通に話を進めていき、ああ、この話もどうせ業務の一環だから、何となく流そう、と自分は斜に構えて臨んでいた。

 

そして質問が続く。体重は?通院歴は?入院とか大きな病気しましたか?今通っている病院はありますか?などなど。

そして核心を突く質問に至る。「ストレスはありますか?」

 

ここからは正直に答えるほかなかった。「はい、あります。今は鬱病すれすれでメンタルが崩壊するかどうかの瀬戸際を毎日過ごしている感じです」

 

ここから始まった。自分のすべてを話した。昨年に離婚したこと、小学生の男の子ふたりを引き受け、親権は自分としたこと、結婚11年目で結婚が破綻して離婚したこと、1年前の離婚協議では元妻から、結婚直後から離婚することが自分の幸せだと言われたこと。離婚協議は1年前から始まり、今小学校のPTA会長をしている時期とちょうど重なったこと、毎朝と毎夕の料理も、洗濯も、掃除も、学校の対応も、すべて自分がしていること、元妻からは元カレほどやさしくないし面白くない毎日を耐える時代でもないから別れたいと言われたこと、子どもは2人とも男の子で、元妻は親権を嫌がったこと、毎日夜寝るときに下の子と話をするとき、いちばん楽しかった思い出は何かなと聞いたら、おいしい食べ物を食べたことでもきれいな観光地や立派なホテルに宿泊したことでもなく、家族みんなで一緒にいたことだと言ったこと、今でも下の子は夜になると一緒に寝てほしいと言い、上の子も含めて川の字になって3人で寝ていること、などを話した。話すとき自分の涙が止まらなかった。俺、何度会社で泣いているんだろう。

話をしているとき、面談者の先方の女性面談員も泣いていた。面談員からは、私が同じ状況なら辛いのは当たり前だし、泣いても叫んでももとに戻らないのだから、涙が枯れるまで泣いていいと思うし、今のあなたの気持ちは誰だってそうなりますよ、って言ってくれた。あたしも数年前、元居た職場を逃げるようにして退職したことがあった、でも今は子どもと一緒に元気に過ごせている。だからあなたも大丈夫ですよ、きっと傷が癒えて元気になれる日が来ますよ、って言ってくれた。

ありがとう面談員のひと。

この話が出来ただけでも、今日の面談が出来てよかった。

その後毎日の食事についても、何を作っているのか詳しくヒアリングしてくれ、大丈夫、今のままなら育ち盛りの子どもたちにも問題ないから、このまま続けてくださいね、と言ってくれた。

 

ありがとう本当に。なんだかリフレッシュできました。

こうして相談できる機会を持てるのは、わたしにとってとても幸せです。

1か月後、また電話で面談があるらしい。

そのときには、元気になれているといいな、と思う。

 

少し暖かくなって春の息吹を感じる、今日でした。

 

仕事との両立で不安な日々。

父子家庭になると、仕事を変える人が結構いるらしい。

そう、確かに、パートナーがいて、毎月20とか30時間残業していたようには、もう働けない。

仕事が終わったら、6時前には会社を出て、自宅で夕食を作り皿を洗い洗濯をしお風呂を洗い洗濯物を干してから、寝なければいけない。

もう、作業自体は慣れたけれど、どうしたって残業はできない。

こんな毎日だから、今これから始まるであろう仕事は大丈夫かな?とものすごーく不安になる。

わかる。まずはチャレンジしてみて、失敗したと思ったらその時に進路変更すればいい。ああそうだ。元気のある時はそう思えるだろう。だけれど、急に亡くなってしまったYさんのように、私もそうなってしまわないとも限らない。Yさんはとっても気配りのできる、兄貴分の人だった。亡くなる1週間前は元気で普通に話していたのに、人がなくなってしまうときは、あっという間なんだな、と思う。

今の仕事だって、ほぼ残務的なものだけれど、なかなか進まなくて難儀してる。それなのにしょくばをかえる期限も、お客様に約束してしまった期限も近づいてくる。ときどきこの気持ちが自分を襲ってくる。

今自宅でこのブログを書いているけれど、この気持ちを共有できる人なんてこの家にはいなくて。子どもたちはずっとゲームをしている。自宅に帰って来てからずっと、ゲームだ。今日ニンテンドースイッチのみまもりソフトのレポートが上がってきた。2月のプレイ時間、1日平均7時間だそうだ。2月は1日も休まず全日ゲームをしている。1日7時間ということは、よっぽどゲームをしている。

このまま子どもたちは廃人みたくなっていってしまうのか。何か今の状況をとめられる術はないのか。

昨日下の子と寝る間際に聞いた。楽しかった思い出って何?今までで楽しかった思い出って何かな?って。そしたら、どこかに行ったことでもなく、おいしいものを食べたことでもなく、みんなで一緒にいたこと、だって。それに、1年前の記憶がないって。

俺、もう切なくなって、布団の中でひっそり泣いた。ごめんな。親の勝手な都合で、仲の悪い親のおうちで、小さくてやわらかくて新しい心が傷ついてしまったね。

だから俺はどうしよう、って悩んでる。

今の仕事を続けることが、家族の為になるのかな、って疑問を持ってる。

もちろん、今の仕事を続けることが、収入の水準を維持することにつながるから、可能な限り続けるべきだとは思う。けど、子どもたちの傷ついた心に寄り添ってあげられるのは自分だけなんだよな。

子どもたちはあっという間に大きくなっていってしまう。

もうセカンドシングルになったんだ、悔いの内容に生きていきたいと思う。

じゃあどうする?? いろんな人に、相談してみようと思う。

面会交流という鬼門。

今日2度目の投稿となります。

今日元妻・母親と面会交流をしたのだけれど、そのあとの夕方の子どもたちの様子が少し違う。なんていうか、パワーアップして、父親と適度に距離を置く、みたいな状況。

 

3人で平和に暮らしていたかったのに、元妻というノイズが加わり、思うように家庭が築けないような感じ。結局子どもは親権者である父親と距離を少し置き、家庭の運営がやりにくくなる。

 

だから、本当は元妻は物理的に接触できないくらい遠いところに離れてほしかった。

こんな毎週のように、都合いいところだけ面会して、いい顔して、何を言っているのか分からないけれど子どもの機嫌をとって、ここだけはと母親ヅラする、ってのが、非常に不愉快だし許せないしやりにくいしこの家庭にとって有害だと思ってしまう。ただここには父親の私という視点しかなくて、子どもの視点がないから何とも言えないのだけれど。

 

俺が嫌いで離婚したのなら、中途半端に自宅近くに住むなっての!!

もう子どもたちとも決別して、県外だか国外にさっさと引っ越して再婚でもしちまえよ!なんだよこうやって毎週のように子どもたちと面会して頼んでもいないノイズをまき散らして。こちとら非常に迷惑なんだよ。離別なんてことは言わずに、死別とまでも言わないからもう会えないくらい遠いところへどこかへ消えてくれよ。

父子家庭を始めた人たちは、俺と同じことを言うのだろうと思う。

子の心境はあまりにも辛い。元妻が母親ヅラをして自由にふるまっていることが、離婚協議書で約束したとはいえ、非常に歯がゆいし不快だ。

 

こんな生活があと10年くらい続くのか。

大学進学になったらどうするのか。学資が不足したらどうするのか。

元妻は何も考えない。もう他人だし、期待しないし口を出してほしくないし、出してきても無視はする。

けれど、大事な検討項目であることは確かだ。

 

さて、お風呂入って、さっさと寝よう。

今日は疲れた。