46歳、父子家庭はじめました。生きていくための記録

46歳にして2児の男児と人生をやり直すストーリー

元妻と子どもたちとの面会交流中に実家に帰り親と話をしてきたこと。

今日は元妻と子どもたちと面会交流を兼ねて昼食を食べるらしい。

自分は朝食をすませ、実家まで車で1時間弱走らせた。

途中、あまり早くついてもいけないと思い、実家そばの高校の母校にちょっと寄ってみた。いつも見慣れた風景が眼下に広がっている。懐かしかった。あの頃はよかった。けど誰もいないし、前向いて生きなきゃ、と、意識を戻して実家へ。

 

実家へ行くと、父親と母親が待っていてくれた。
豚汁やお刺身、大根の煮物や炊き込みご飯、いろいろ出してくれた。

いつもの通り話をするけれど、父親はいつもの通り自分のことばかり話してしまう。自分は適当に相槌を打っていたけれど、父親のことをちゃんと聞けない俺の態度も、まだまだだね。父親は毎日お酒を飲み、もう歳だしいつ逝ってもいいんだ、という。けれど、そういう割には遺書は書かないし、死後のことを何もやってない。あとに残る人のことは何も考えていないんだ。けれど、ここを毎回指摘しても治らないし、嫌な気分になるだけだから、もう何も言わないのが楽だと思い始めている。向こうから話しかけてくるのがあまりにも毎回だから、どうしたって適当に相槌を打ってうやむやにしてしまうような会話になってしまう。父親は無理するな、大変な時は手伝うから、お母さんに言えという。自分は何もしていないのにね。けれど、なにもしなくてお酒を飲んでいていつでも逝っていいと言っている割には死後のことを何もしていないお父さんだけれど、その気持ちはありがとう。お父さんは俺以上に不器用のようだけれど、子どもを想ってくれる気持ちはありがたいと思っています。ありがとう。

 

お母さん。いつも料理を作ってくれて、話を聞いてくれてありがとう。今日の料理もおいしかった。落ち着いて作ってくれた料理を全部食べないといけないね。自分好き嫌いがあって、出されたものを全部食べようとしていないのはごめんなさい。だって、漬物とかマグロと野菜の味噌和えとか、あんまり好きじゃないんです。だからつい、スーパーから買ってきたお刺身とかスナックを食べてしまう。がっかりさせているのならごめんなさい。俺もまだ自分勝手なことしているのかな。だからこうやって妻に捨てられるのかな。

 

実家では、普通に話をしていた。異動予定だったY先輩がなくなったことも話をした。話の中で、俺の精神状態については話をしなかった。Yさんが亡くなったことはショックだったし、ただでさえ離婚後のダメージをうけて凹んでいるところにYさんの死去の知らせが重なり、しかも今やっている仕事がなかなかうまくいかずスタックしかかっていて、結構辛い状態なんだけど、その話はしなかった。最近会社から帰るとき、自然に涙が出てきてしまうことも話ができなかった。だって、親を心配させてしまうだけだから。正直に話しをしたところで、親として何かをしてほしいわけではないしい、何かしなければと思わせてしまうのもまずいと思ったから。

 

本当は、親の前で思いっきり泣きたかったんだ。

お父さん、お母さん、俺うんと辛いんだよ。今、とっても気分が辛いんだよ。

いまこうやってブログを書いているときも、涙があふれてくるんだよ。

俺、精神的にもうボロボロなんだよ。この気持ちを分かってもらえる人がいないんだよ。再婚なんてどうでもいいんだ。今はそんな気持ちは全くないんだけど、この気持ちをだれかと共有したいんです。だけれど、それが今はできない。だれもいないんです。

 

だからこうしてブログに、せめてもの書いている。
本当に精神的に辛い。ここまで辛いのは、人生で初めてなんだろうと思う。
誰かの胸の中で思いっきり泣くことが出来ないのなら、この想いのかけらだけでも、このブログに残しておこうと思う。

 

俺、生きていけるのかな。

生きなきゃいけないと思う。

両目から流れている涙をぬぐうとき、実家で借りたハンドクリームのにおいがした。

このにおいをかいて、俺はもう少し生きられるのかなと思った。

 

いつかきっと、俺と同じ境遇の人と話が出来たらと思う。
本当に辛い。

これから夕食を作り、夜はPTA会長としての仕事もしなければいけない。

 

今日は早く寝よう。明日は仕事だ。

読んでくれてありがとうございます。