46歳、父子家庭はじめました。生きていくための記録

46歳にして2児の男児と人生をやり直すストーリー

夜明け前の一番暗い状態 離婚直前

皆さんはじめまして。私は46歳男性、会社員です。

40歳の妻と、12歳と9歳のそれぞれ男の子がいます。これから、子どもと3人の父子家庭になります。あまりにも気持ちが辛いので、こんな気持ちになる機会ももうないだろうと、ブログに記録を残すことにしました。

 

ことし2月に妻から離婚を切り出されました。

9年前から離婚したいと思っていた、離婚することがあたしの幸せだと思っていた、もう愛情は無くなったので戻ることはない、好きだと思える人が出来てしまった、今はがまんする時代ではないので私の人生を歩みたい、など。

9年前といえば、下の子が生まれた年です。

下の子が生まれて、「あたしの役割は終わった」と思ったようです。

その後、この9年の間にマイホームを家族で設計して建て、妻の好みに合う自動車を2回、買い換えました。2回目の買い替えでは、妻が気に入ったフランス車を買いました。

この話を聞いて、今までの自分が至らなかったと反省し、2月以降、妻の言うことをよく話を聞こうと努力し、毎朝の食事も作り、妻の負担を軽減するよう頑張りました。

妻の気持ちになって考え、日常的な会話も、うんうんと話を聞いてあげるようにしました。

妻からは、態度が変わったと評価され、上の子からもお父さん変わったと言われるようになりました。

しかし、妻の離婚したい気持ちはそれでも変わりませんでした。

話し合いの中で、妻は自分の持っていた結婚指輪を「燃えないゴミ」として出してしまったことが分かりました。また、あなたのことが大嫌いと面と向かって目を見ながら言われることが何度か繰り返されました。

こうして5月連休頃まででしょうか、復縁の可能性を色々模索してきたのですが、私自身の気持ちの中にも、何とか復縁したいと思っていた、妻を思う気持ちの炎のようなものが、自分の中から消えていくことを感じました。そして、最後は復縁なんてもう疲れた、別れて楽になりたいと思うようになってきました。この気持ちは、自分勝手に物事を進めてきた妻に対する憎しみとして、日々の会話がなくなってきました。

 

結局、復縁はやめ離婚させてあげることがベストかと思いました。

以後、5月から今日の11月に至るまで、朝食も夕食もすべて私が作り、9月頃からは妻のものを除く子どもたちと私の洗濯物も毎日干したり畳んでいます。

妻は朝7時前に家を出、8時過ぎに帰宅して真っ先に寝るような生活が続いています。

冷え切った家庭を反映してか、下の子は4,5回は登校拒否で学校を休みました。そのときも、妻はマイペースで会社に早朝から夜まで通い、子どもの登校拒否の面倒を見ることはしませんでした。

 

いよいよ妻とはもう会話もなく、物理的に近くにいることが憎らしいと思うようになりました。そして、妻は新しいアパートを見つけ家を出ていくことになりました。

 

そして妻が家を出るのが、ちょうど来週の金曜日。

今日は土曜日ですから、あと1週間足らずとなります。

妻が、お母さんが家を出ていくことを前に、子どもたちに今日、お母さんの大事な話として、離婚すること、お母さんが家を出ることを子どもたちに直接伝えました。

 

下の子は、信じられない信じたくないと、首を何度も横に振りました。まだ9歳の男の子から母親をなくしてしまうつらい気持ちはよく分かります。ああ、なんてひどいんだろうと思いながらも、家を出ていくことは事実だから伝えないと、と思いました。

 

妻は涙を流しごめんね、と子どもに謝っていました。

そんなの、いくら謝ったって家を出る事実は変わらないのだから何も意味がないのに。
こういうのを見ていると、さらに妻に対して腹が立ちました。

上の子は、私から離婚することを少しずつリークしてきていたのであまり驚いた様子は見せませんでした。もうわかっている、とその時は言っていたことを覚えています。

 

けどね、寝るときの様子を見たら、やっぱりと思いました。

子どもたちは、母親を取り囲むようにして、狭い1枚の布団に寝ているのです。

ああ、やっぱり寂しいよな、当たり前だよな、と思いました。

 

離婚が子どもに与える影響は計り知れないものがあります。

それでも自分の意思を貫いて家を出る。

もう、そんな妻は私にはいりませんし、一緒に暮らそうとも思えません。

 

来週末から始まる新しい暮らしに期待しながら、より安らかに暮らせる毎日がくることを楽しみにしています。

 

もう、節目を迎えて、次の新しい路線に切り替える時期が来ているんだよ。

寂しいけれど、前だけを見て、希望を抱きながら、生きていこうと思う。