46歳、父子家庭はじめました。生きていくための記録

46歳にして2児の男児と人生をやり直すストーリー

先輩社員Yさんが亡くなった。

私の所属している職場では、仕事がひと段落したことを受け、別の課に異動する話が進んでいた。移動先の課である先輩社員のYさんは、以前も一緒に仕事をしたことがあり、いつも爽やかで半分冗談を言いながら、ちゃんと守るべきことは守り、約束を確実に実行してくれるような、兄貴分の人だった。

Yさんは課長を担っており、私の異動先としてYさん含め、先週の木曜には面談をして「これからよろしくお願いしますね」と話し合った矢先だった。

 

今日の午後、Yさんが亡くなったとの知らせが部長から入った。

 

しばらく動けなかった。

あのとき一緒に仕事をしたYさんが、亡くなってしまうなんて。

Yさんの親近者なんでしょう?本人ではないよね?と、部長からのメールを読みながらひそかに期待する自分がそこにいた。けれど、けれど、無残なことに、メッセージに係れていたのはYさん本人の死。

先週木曜に数分、Yさんと話をした。お久しぶりですね、またよろしくお願いしますね、実は私父子家庭なんですよ。だから、あまり残業とかできないんですよね。って、直接Yさんの目を見ながら話した。その時は、黙って私の話を聞いてくれたんです。

ああ、Yさんともっと話しておけばよかった。

Yさんと一緒に仕事をしたとき、Yさんを取り巻くメンバーが、Yさんをディするような動きを仕掛けて、こともあろうか俺はYさんの取り巻きと一緒にYさんをディスってしまったんだ。Yさんはその後とても疲れた表情をしていたから、俺がひどいことをしたのだろうと思う。Yさん、俺はあなたを尊敬していた。だけれど、取り巻きと一緒にあなたをディスってしまったのは俺の弱さからなんです。本心からではありません。Yさん、私はあなたを尊敬していました。いつも朗らかでからっとした雰囲気が、好きでした。

 

それが、なぜ。。。。

 

木曜には元気に話していたから、コロナなんて考えられない。

俺が異動する話がでてきて、その直後にこうなってしまったのなら、俺が原因の一つだって思ってしまう。いや、そうに違いない。

Yさん、俺のせいなのか?? 俺がそんなに嫌いだったのか?? 

 

正直、ここまで近い人が、尊敬していた人が、急に亡くなってしまうのは、精神的に辛い。辛すぎる。ただでさえ父子家庭で辛い毎日なのに、Yさん、あなたひどいよ。俺に仕打ちするのかよ。

俺はあなたにお詫びの言葉を言いたかった。その一言を言いたかった。
けれど、こうなってしまったらもう何も言えないじゃないか。
Yさん、ひどいよ。

 

けど、もうお別れになったのは避けられない事実なんだ。
だから、Yさんにはお別れをして、気持ちよく送り出してあげたいと思う。
あー、きつい。。

 

さようなら、Yさん。
あなたは、私にとってあこがれの人でした。
あの世に行っても、お元気で、笑顔を振りまいていてください。

 

ネガティブな気持ちの海でもがく。

今日一日もひどかった。

朝は寝坊して遅く起きてきた子どもたちにバタバタと朝食を食べさせた。今日の朝食は、ベーコン焼き、トーストしたマフィン、コーンスープ。自分が食べ終わってさあ自宅を出なければという時間に、子どもたちは朝食を食べ始める。結局自分は始業時間に間に合わないので先に家を出る。頭の中は怒りの気持ちでいっぱいだった。昨日ゲームをやりすぎたからこんなになってしまっているんだぞ。少しは自制しろよ。こんな人生でいいわけないだろう。

ああわかる。親権をもっているんだからしっかり子どもを管理しなければいけないのはわかる。けれど、昨日の夜は仕事のストレスと離婚後の不安の気持ちが重なり、正直普通に起きているのがしんどかった。だから、9時にさっさと寝た。子どもたちには遅くなるなよ、といい先に寝た。もう、昨日は耐えられなかった。

だから、心理的に、精神的に、毎日がぎりぎりのところを、すれすれのところを過ごしているのだろうと思う。気を許すと、下手に同情されると、勝手に涙が出てくる。

そして仕事があり、日中も優しくも厳しい先輩から指導を受け、明日以降も同じような日々が続く。結局会社を出たのが6時過ぎ。自宅に帰ってきたのが7時前で、夕食は7時半に出来上がった。今日の夕食は鮭のホイル焼き。バターとえのき・玉ねぎを乗せてグリルで焼くこと10分強。バターは10gの切ってあるものを買ってきて、それぞれ乗せた。10gって結構ある。多いかなと思ったっけど、食べるときにはちょうどいい感じになった。ちょうどいい量なのかもしれない。

そして夕食が出来たが、子どもたちはまだゲームをしている。結局、夕食を食べ始めたのは7時45分頃だった。俺もそれを見てイライラ。あまりにも食べないので、掃除機掛けを少しした。で、7時50分頃みんなで食事。

上の子から、お父さん今日の食事おいしい、と言ってくれた。

この言葉にどれだけ救われたか。ありがとう。

結局ゲーム優先ばかりかと思ったけど、ちゃんと夕飯を食べてくれる。それだけでもうれしいと思った。あまりにも食べなかったらどうしようとか、夕食は全部捨ててラーメンを食べたいといい始めたらどうしようとか思って、嫌な気持ちがぐるぐるしていたのだけれど、いざ実際に夕食を食べてみると、みんなおいしそうに完食してくれる。ああ、料理を食べてくれるって嬉しいことだな、おいしいって言ってくれることって幸せだな、と、短い時間だけれど、心からそう思う。

 

さて、食事の片付けも終わったし、洗濯物を片付けて、ゆっくりお風呂に入ろう。

 

明日また職場は怒涛の一日だけれど、今あるこの自宅・家族・みんなに感謝だ。

 

うつ病すれすれのところを歩きながら、俺は毎日をなんとかやりくりしている。

その先には、きっと子どもたちとかけがえのない絆が作られていることを信じている。そして、自分が確かに生きてきたんだと確信をもって振り返ることのできる自分自身の自信というか誇りを持てる軌跡となることを信じて。

 

こどもたち、ありがとうな。

お父さんまだまだ頑張るよ。

面会交流という試練。

今朝自宅の固定電話に電話があり、下の子が電話をとった。どうやら元妻から昼食をともに面会しないかとの誘いだったとのことで、子どもたち同士で話し合って会うことを決めたようだった。その直後昼食食べますと一文だけのLINEが届いた。

面会は子どもの福祉の為に必要なことはわかっている。元妻と設定した離婚条件契約も、制限は設けないことになっているから、こちらから理由もなく断ることはできない。

だからお母さんにあってくる、と子どもが言えば、それは否定できない。

出来ないんだけど、これを聞くと嫌な気持ちにさせられる。ずっとこらえて我慢してきたのに、思い出したくない存在を思い出させられてしまう。正面向かってあなたは嫌いです、と言われ、一時期は復縁も試みた自分がバカに思えるくらい、元妻のことは人間的にも存在的にも嫌いになった。なのにこうしてコンタクトをしてくる。そして極めつけは子どもたちが唯一の母親として、そんな人間であっても慕っている事実だ。自分は嫌いなのに自分の子どもたちは慕っている。この相反した状況を受け入れるのは、辛い。

本来なら、自宅から遠いところに住んでもらい、もう一生会わないくらいの場所に住んでほしかった。もう、新しい3人の生活に介入してほしくなかった。子どもたちは2週間ぶりにお母さんに会って話を聞いてもらってうれしく思うだろう。おいしいお昼ご飯を食べ、幸せなひと時を過ごすだろう。これは子どもたちにとって幸せな時間の何物でもない。今だって強くそう思う。けれど、面会が終わってそれぞれ別々の自宅に帰るとき、改めて離婚したこと、もう一緒には住めない現実を突きつけることになる。俺はいまだにこれがいいものかは理解できない。

ただ、今の風潮として、家庭裁判所は面会交流を認めているというのだから、私の知らないところで子どもたちの福祉のため、という判断があるのだろう。

 

今日はこんなことがあってから、一日中鬱っぽい気分の中で過ごした。

体を温めようと、日帰り温泉にも行ってみたが、鬱っぽい気持ちは解消せず。

体を動かそうか考えたけれど、無理して動くよりは静かに自宅で過ごそうと思い、スーパーで買い物をしてから自宅に帰り、ブログを書いている。

俺大丈夫なのかな。こうしてノイズが入ると、俺の精神状態が乱れる。

ああ、前を向いて未来に希望をもって明るい表情で日曜日の夕方を過ごせればいいさ。けれど俺はそんなにできた人間じゃない。今日は特にメンタル的にへこんだ一日だった。明日からまた仕事の戦いが始まるというのに。こんなんでどうするかね。何とかするしかないよな。

と、つらつらと自分の想いをブログに書きながらも、夕方のアルコールを飲んでいる。ええ分かっていますよ、お酒は楽しく飲むもので、辛いことから逃げようとして飲むものではないのですよね、樺沢先生。けれど今日は(今日も)お酒を飲まないとやってられないのです。今日という一日を乗り越えることが、私の生きる道につながるのです。だから、お酒は適量は守るので、今日は(今日も)飲まさせてください。

 

シンパパの皆さん、元妻の面会交流問題はどのように乗り越えていますか?

私は隔週くらいの頻度で、こうして大波を食らってのたうち回っております。辛いですね。しょうがないけれど、乗り越えるしかないけれど。

 

 

さて、そろそろ夕飯を作ることにするか。

今日の夕飯は、鮭のホイルバター焼き、菜の花の和え物、きのこの味噌汁、です。

地域行事という試練。

今日は正月の行事、どんと焼きだ。

松飾なんかを集めて、ヤグラを組んで燃やす行事。コロナではあるけれど、今年も実施している。子供たちも来るように言ったけれど、すぐに帰りたがり、めんどくさそうにしているので、5分で帰っていいと言い、実際に5分後に帰宅した。


隣の子は元気に松集めをしているのに、うちはさっさと帰ってしまう。しかも遅刻して、ポケットに手を突っ込んできたと思ったら5分後に帰る、って、なんなんだろう。

しかも周りは両親が来ていて、楽しそうに話をしている。これをみていると、なんだかいたたまれなくなってきて、ただでさえ暗い気持ちが、もっと暗くなってきてしまった。

だから、燃やすヤグラが完成して、さあ点火だ、という直前、こっそり抜け出し、近くのショッピングモールに来てこのプラグを買いている。

ああ、子育て失敗したかな、家族ごっこも失敗したな、俺の人生も失敗したかな、とかって考えるとキリがなくなる。

こんなことがあっても、自分はどうしたいという芯のようなもの、いい家庭を作るんだぞ、という芯のもの、はきちんと持ってないといけない。こんなにもボロボロの俺だけど、毎日の生活は待ってくれない。これからお昼ご飯作らなくちゃ。いつでも泣ける、今でも泣きたい。けど、誰も何も待ってくれない、何もしてくれない。ボロボロだけど、立ち上がって目の前のことをしなくちゃいけない、のか。。


辛いのか、自由なのか、なんなんだろう。

さて、買い物するか。

民謡「おぼくり」「ええうみ」をききながら。

年明けの深夜。子どもたちも寝て、静かな夜。

父子家庭の寂しさや孤独さや辛さなんて誰にも相談できない。日中ため込んでいた寂しさを、ふっと自分を振り返ることで自分自身をいやすことができるかもしれない、と思える一瞬。

誰にも朝崎郁恵さん「おぼくり」を何度も聞いている。油断すると涙が出てきてしまう。誰にも相談できないけれど、何か懐かしい気がする。見守っていてくれる気がする。まったく関係ない朝崎さんという方だけれど、ずっと昔に聞いたことがあるような気がする。意訳を見ていると、ずっと昔の日本の歌って貧しかったんだと思う。「ええうみ」を聞きながらそう思う。けれど、どうしてだろう。この感覚はとても親しい何かを感じるんだ。声をあげて泣きそうになるのを必死にこらえる。このブログだって、書くのが辛いんだ。俺は、俺は何やって生きて来たんだ。。今までの俺の人生って何だったんだろう、って思う。意味あったのだろうか、って。ああ、楽しかったさ。婚姻時代は、妻を信じてやってきた。家族をやってきた。だけれど、一度壊れてしまうと過去のすべてが否定されたような気がする。今の気持ちに浸ればいくらだって泣ける。でも今は泣いていい気がするんだ。いくらだって泣いていいんだし、俺は泣くことしかできないんだと思う。「ええうみ」聞いてみてください。貧しくて着るものが十分に揃わなくたって、相手を想う気持ちはまだしっかりあるんだ。おれはこの優しい気持ちを大事にしたいと思う。俺はこの気持ちを忘れないでいたいと思う。涙が止まらない。愛しいこどもたち。君たちもこの気持ちは忘れないでほしい。なんていい歌なんだろう。ああ、人の生って、なんなんだろう。たまに死にたいって思うけれど、いいこともあるのかな、って思う。

父子家庭で迎えるはじめての大晦日。

今は夜の9時過ぎ。子どもたちはいつも通りフォートナイトをプレイしている。

自分はメンタルが落ちたままで、ひとりこうしてブログを書いている。

 

気持ちの整理には断捨離が有効だと聞いていて自分もそう思うので、今日は元妻との写真を総じてシュレッダーにかけた。結婚式の写真、新婚当初に旅行に行った時の写真、300枚以上はシュレッダーにかけただろう。最初、手回し式の安いシュレッダーを買ってきて使っていたが、そのうち刃が切れなくなり、追加で購入したほどだ。

写真の断捨離は辛かった。結婚式の写真を1まいずつシュレッダーにかけていく。ああ、こんなこともあったな、あんなこともあったな、結婚式に来てくれた友達、会社の同僚や先輩、みんなありがとう。そうやって1まいずつ噛みしめながら写真をシュレッダーにかけていくとき、ふと何枚かの写真が目に入った。まずは結婚式で手紙を読んでいるときの写真だ。新郎新婦と、その向かいに両家の両親が立っている。両家の母親が中央に立ち、母親を挟むようにして父親が立っている。新郎と新婦が手紙を読むのを見守っている両家の両親。次にウエディングケーキを新郎に食べさせた後、両家の母親が父親にケーキを食べさせるアトラクションの写真。俺は気づいた。母親が結婚式に居てくれるってどれだけ嬉しいことか。あたり前だと思っていたけど、あたり前じゃないんだ、って。うちの場合は、もう母親はいないんだ。結婚式に来るかもわからない。少なくとも、今の時点では来てほしくないし、顔も合わせたくない。親の都合で片親になってしまった現状が、ぽっかり空いた心の穴を直視することになった。ごめんよ、君たち。君たちの結婚式にはお父さんしか来れないのかもしれない。けれどな、君たちが結婚する歳になって、お父さんが元気でいられたとしたなら、それはそれはお父さんが生きてきて、君たちもお父さんと生きて来たんだ、って実感を感じられるはずなんだ。お父さんはそうやって君たちを育てる決心をしたんだ。だからきっと幸せになれる。お父さんが幸せにするから。 いつ来るかわからないけれど、結婚式できっとそう思えるいつかの日のことを想うと、鼻がむずむずしてきて、涙があふれた。きっと幸せになってやる。幸せになるんだ。君たちと一緒に、生きていこう。

ぼろぼろのメンタルで、半分うつ状態になりかかっている自分のなかで、小さく誓った。

 

来年は試練の年になるだろう。

仕事と父子家庭が両立できるのか。きっとここが問われる。

毎日が勝負だ。けれど、やるだけのことはやって、あとはなるようにしかならないから。なんとかなるさ、っていう気持ちでやっていこうと思う。

 

晦日の夜は、最低の状態の私のメンタルと、子どもたちがゲームで遊ぶ声と、ほんの小さな自分の中だけの希望のようなものを大事にしようと誓ったひとときでした。

 

良いお年を。

2021年12月31日 寒い大晦日の夜

やぶれかぶれな今日。

シンパパも板についてきて、食事も洗濯も掃除も同時進行できるようになってきた。もちろん、あとは仕事と両立できるか、の不安は残るけれど、ちょうど離婚後は仕事のピークが去ったので何とかなっている。

今日は仕事をいつもより1時間早く切り上げて、上の子が息がしづらいというので呼吸器内科を受診した。結果、追加の薬を処方されて様子を見ることになったが、息子はわかっているのかな。この1時間、勤務時間を短縮するってことは、給料をカットしたってことだよ。感謝してほしいな、って。

さて今日はシチューを作った。作って盛り付けてごはんだよ、と言うのだけれど、子どもたちはゲームをしていて、「わかった」と生返事はするものの一向に食事をとる気配がない。結局食事を食べたのは、熱々のシチューを盛り付けてから15分か20分後だった。それもパパである私がいい加減食べろ、と怒ってから。すっかり冷めたトーストと、ぬるくなったシチューを無言で食べていたが、シチューもトーストもほぼ残されている。きっとおいしくないのか、お菓子でお腹がいっぱいになったのだろう。

こういうのを何度も見せられると、虚しくなる。

こんなことの繰り返しが続くなら、食事なんて、シリアルに牛乳をかけたようなエサ的なものでいいんだろ、と言いたくなる。どうせ食事を作っても食べない。あつあつの出来立てを盛り付けても食べない。それよりもゲームを優先したい。だとするならば、食事なんて栄養素が取れるなら何でもいいんだろう。食事中の会話もいらない。ゲームの時間がより優先順位が高い。ありがとうの感謝の気持ちもいらないし、みんな揃って食事を食べるなんてこともいらない。要は、栄養が取れればいいんだ、と。

こういう気持ちになって、今日は皿洗いも鍋洗いも放棄して、お酒を飲みながらブログを書いている。今日はこのまま寝てしまおうと思う。

今は20時半だ。このブログはワインを飲みながら書いていて、もう疲れてしまい、向かう先のない怒りのようなものに捕らわれながらブログを書いている。ああ、俺父親失格なのかもしれないな、って。いつもニコニコして子どもたちのそばにいることなんて、できないって。

私は育児放棄ですか?ネグレクトですか?今日はもう疲れてしまった。

毎日の繰り返し。朝起きて朝食、帰ってきて夕食、洗濯、洗濯物干し、皿洗い、自分の時間なんて全くないんだ。皿洗いが終わると20時半。そこからお風呂に入り、洗濯を始め、21時半過ぎに洗濯物を干し、自分が自由になるのは22時頃。もう寝ないと次の日に支障が出る。こんな日の繰り返しに何の意味がある?

ああ、子どもたちと人生を過ごせる意味がある。けれど、今日は疲れたんだ。今日は寝かせてほしい。もう疲れた。